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日本経済新聞2010/5/5「子供オケに“酔う"南の島」
宮古島は、沖縄県の中でも酒飲みが多い所だ。「オトーリ」と呼ばれる長時間の回し飲みが毎夜のようにどこかである。でも昼間になると、彼らは宮古方言で「あららがま」と呼ぶ不屈の精神の持ち主となるのだ。
公民館や学校でも指導
そんな宮古島で私は3年前から、妻と共にバイオリン教室を開いている。酒好きの大人相手ではない。子供に教えているのだ。子供向けバイオリン教室では、日本最南端だろう。ほかに公民館や学校でもボランティアで指導していて、私たちの生徒に地元の中学、高校の吹奏楽部の生徒を加えてジュニアオーケストラを組織している。
クラシック音楽にも関心が高いのだろうか。宮古島でバイオリン教室が成り立つなど夢にも思わなかった。人口5万人ほどの島で、ピアノを習っている子が200~300人。日本女性で初めて交響曲を書いた作曲家、金井喜久子も輩出している。
私と妻は東京で25年ほど、バイオリンを教えて暮らしてきた。一方でよく沖縄へ遊びに来ていて、特に宮古島は2002年に初めて訪れたとき、妻が「あなた1人で東京へ帰って」と真顔で言ったほど水に合った。以来、年に何度も来るように。移住にあこがれ、理学療法士なら仕事があると聞いて専門学校の資料を取り寄せたこともある。
そんなある日、当時の平良市(現宮古島市)の市長と話す機会があった。「前からジュニアオーケストラを作りたいと思っていたのだけど、やってみない?」。聞けば彼は以前、宮古島に文化協会を組織した。いろいろな大物アーティストの演奏会を企画したそうだ。
音楽的成長早い子供
試しに05年から毎月、島に通って無料体験レッスンを始めると、盛況である。過去にもバイオリンの先生が住んでいたことがあり、習った子がいるそうだ。宮古高校の音楽の先生は、いつか子供たちに弾かせたくて20丁ものバイオリンやチェロを自費で集め、授業で触れさせていた。現在、彼がジュニアオーケストラの団長を引き受けてくれている。バイオリンを受け入れる素地はあった。07年2月、私たちは移住した。
東京とは違うところが随分ある。宮古島では、5~6人兄弟が当たり前。兄弟でカルテット(弦楽四重奏)も結成できる。子供たちは明るく前向きな長調の曲が好みで、私の話を素直に聞いてくれる。楽器や楽曲が気に入ると、たいへんな集中力でのめり込む。音楽的な成長の早さは私たちも目を見張るほどだ。レッスンを終えたら、ビーチで遊ぶこともできる。
対して東京では、片道2時間もかけて教室に通う子がいた。塾や他の習い事もあって、精神的に疲れているように見える子もいた。どちらかというとロマンティックな短調の曲に人気があった。
実は那覇で音楽を教える先生に「ここは呼吸器系だよ~。弦楽器のような、手先を細かく使うものは合わないよ」といわれたことがある。確かに沖縄は、声楽や吹奏楽など息を使うものが全国的に強い。根を詰めた練習の合間にほっと一息つけるように、今、海の見える場所に家を新築中だ。世界でも屈指の美しさを持つ宮古の海を、生徒たちと一緒に眺めたい。
地元でのコンサートは時折開いている。今年2月の公演は、チリの大地震による津波警報が全国的に出た日にあたってしまった。しかも劇場は港のすぐそば。開演ギリギリの時間になって、楽器屋さんの2階のホールを貸していただけることになり会場を変更。ところがそこはエレベーターがなく、ある生徒の車いすのお父さんが遠慮していらっしゃらなかった。翌日は、生徒たちがそのお父さんの家に出かけて演奏してくれた。そんな優しさや臨機応変の対応も、島ならではだろう。
夏に東京で演奏会
今夏はジュニアオーケストラのコンサートツアーを挙行する。7月23日が宮古島、24日が沖縄・糸満市の平和祈念堂、26日は東京の武蔵野市民文化会館だ。曲目はマーラーの交響曲第5番「アダージェット」など。宮古島の子にとって、東京といえばまずお台場やディズニーランドだが、今回は音楽専用ホールでパイプオルガンやハープと共に演奏し、東京の大学や大きな図書館なども見学させたい。子供たちが良い刺激を受け、目標になるものが見つかるかもしれない。
この連休は「合宿」と称して夏の公演に向けた集中的な練習をしている。でも最終日の今夜は、きっと親たちと打ち上げと称した大宴会になるだろう。
(あまの・まこと=バイオリン教師)
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琉球新報一面コラム「金口木舌」2011/8/9
休日、ゆらぎの音色に癒やされた。
県立芸大で7日に開かれた
宮古島市ジュニアオーケストラの公演。
小さな音楽家たちの
真剣なまなざしが印象的だった
▼宮古島の小中高生約40人でつくる楽団は
2008年に結成された。
以来、毎年夏に演奏ツアーをし、
昨年は東京の舞台にも立った。
名だたる奏者とも共演し、
刺激を受けている
▼人口5万の島でオーケストラができたのは、
指導する天野誠さん、智美さん夫妻の力が大きい。
東京で25年間バイオリンを教えていた夫妻が、
宮古島の人と自然にほれ込んだのは02年。
07年には移住し、
日本最南端のバイオリン教室を開いた。
学校や公民館でもボランティアで教えている
▼「宮古島の子は集中力が違う」と天野さん。
「素直で心根が優しい」
「お互いの良さを認め合う」とも。
優しさが音楽に深みを生み、
心に響く演奏をつくると強調する
▼目指すのは技術の向上だけではない。
「音楽を通して子どもたちの強く生きる力を育てたい」
が天野さんの口癖だ。
演奏会で島の外を知ることで、
故郷の良さに誇りを感じ、
自信を持って夢へ歩んでほしいと願う
▼一人一人の感性を
最大限に引き出す楽団。
それを周りの大人たちがしっかりと支える風土。
地域と奏でる交響曲は、
子どもたちの人生に、
より豊かな旋律をもたらすに違いない。
今から来夏の公演が待ち遠しい。
琉球新報連載エッセイ
「沖縄時間」の時代
東京で生まれ育ち二五年間バイオリンの演奏・指導を生業とした後、美しい宮古島に移住し妻と共に子供たちに教え始めて三年、この連載を始めるにあたってこの間の驚きと感動を記そう。
バイオリンは綺麗な音が出るまでがまず大変である。宮古の子達も最初こそ「自分にも本当にできるかな?」の顔。ところが、一旦「楽しい!」「好き!」と思った途端、素晴らしい集中力を発揮するのだ。もちろんレッスンは山あり谷ありで、子供達は泣くこともある。私も厳しいかもしれないが、どちらかというと自分自身のことが悔しい様子である。そしてまったくへこたれない。私達大人を心底信頼し、とことん慕い、ついてきてくれる。その美しい心とそこから生まれる高い能力によって、僅か三年で音大の入試曲であるロマン派の協奏曲を弾きこなす子が四人も育ち、また、昨年夏宮古と那覇でのコンサートで、チャイコフスキー作曲の弦楽合奏の難曲を高い水準で演奏することができ、その感動を聴衆と共に分かち合うことができきた。東京では有り得なかったことだ。
当初はいずれ東京など大都会に旅立っていく中高生に強い気持ちを育てるべく、「それじゃあ『東京』ではやっていけないぞ。」と厳しく指導することもあった。しかし子供達の心の深い優しさに触れていくうちに言葉を付け加えるようになった。「君の中にある『沖縄』的な素晴らしさ、こころねとそこから生まれるその音色をこれからも大切にしなさい。『東京』に行ってそれを皆に誇りなさい。」子供達が私達を成長させてくれたのだ。
詩人・哲学者の山尾三省は、九九年の琉球大学での集中講義で、この感動を端的に述べてくれている。曰く、西欧技術文明に代表される一時も立ち止まらない「進歩する文明の時間」(=東京の時間)と、大自然の時の流れのように人の心を大切にする「循環(回帰)する時間」(=沖縄の時間)という二つの時間の相があり、これらの調和が、この国の次世代のもっとも重要なテーマになるだろうと。
子供達を「沖縄」で育てて、その素晴らしさを「東京」に輸出する時代が来たのだ。
「強く生きる力」
東京で二十五年間指導してきたバイオリンスクールは、お茶の水の多くの大学に囲まれた一角にあった。遠路片道二時間半かけて通ってくる熱心な子供達がいる一方で、小学三年から勉強漬けで殆ど自由に遊ぶ時間もなく、その結果何に対しても積極的に取り組めない子供達もいた。私たちの仕事は、彼らに音楽の最高の愉しみである合奏に取り組んでもらい、生きる力を育む環境創りをするという社会的な役割も大きかった。
特に小学生は、好きなことに没頭し嗜好が育ち集中する喜びや達成感が育つ重要な時期であるので、むしろ大人以上に音楽に深く感動することができる。彼らに音楽を与えることは、その感動を通して強く生きる力を育むことだと、親達に徹底してお話した。最初は「気持ちいい」や「かっこいい」と感じるだけで良い。それがいずれはバッハ・ベートーヴェンなどの純粋で高貴な精神への深い感動にいたるのだ。この感動を一緒に合奏する友達や客席にいる親と分かち合うことこそが音楽なのである。小さな会場での発表会からサントリーホールや日本武道館に天皇皇后両陛下をお招きしたコンサートまで演奏する機会を数多く与えた。一生懸命演奏しようという気持ちが集中力を引き起こし、その充実感が生きる力を育んだのだ。
子供達が自由に遊ぶ歓声に包まれている宮古島のスクール。そして子供達の気持を自然に伸ばそうとする優しい親達。私達は演奏する機会を沢山創り意欲が育つのを待つ。そう、誰も生きる力を「育てる」ことはできないということを忘れてはならない。私達にできることは環境を創り「育つ」のを待つことだけ。
ヨーロッパで演奏会をすると、終演後街で「素晴らしかったよ」などと話かけてくれることが多い。宮古島でも「子供達のためにありがとう」と知らない方が声をかけてくれる。街の人々が子供達の成長を楽しみに、私達ジュニアオケを育んでくれているのだ。
宮古島には強く生きる力を育む環境が整っている。私達大人のほんの少しのサポートで、子供達は輝かしい未来に向けて歩んでいくだろう。
「聴く心」を育てる
休暇の度に宮古島に通っていた頃、当時の市長から「宮古島にジュニアオーケストラを創りたい」との話があった。東京で小規模な合奏団から三千人の大オーケストラまで指導してきた経験を生かしてお役にたてるならと、お引き受けした。そしてそれが宮古島に移住するきっかけとなった。
まず、手始めに妻と共に宮古島市内の保育園・幼稚園・小学校・中学校・高校・養護学校のべ二十五カ所で文化庁の芸術家派遣事業やボランティアでバイオリンの演奏をしたり、授業や課外活動として指導した。
生まれたときに神様からもらった直感をまだ大切にしている子供達こそ、曲の好き嫌いがはっきりしているのだから、彼らに聴いてもらう時は目を見ながら演奏するようにしている。この曲は楽しかったかな、次はもっと明るい曲を弾こうかな、などと彼らの嗜好を探るのだ。生まれた風土によって好きな曲に違いがあるし、そのときの気分でも聴きたい曲は変わるだろう。それを感じて私達の弾いた曲が彼らの気持ちとぴったり合った瞬間は最高だ。演奏の合間には曲の背景などもわかりやすく説明して彼らの想像力をふくらます。こうして彼らの「聴く心」を育てる。
十数年前、世界的なチェロ奏者林峰男さんが私達の生徒のオーケストラの演奏会で協奏曲を弾くために直前の合宿に参加してくれたときのこと。練習後子供達のために一曲弾いてくれることになったのだが、彼はなんと二十世紀の作曲家コダーイの無伴奏ソナタを弾き出した。小学低学年のいたずら盛りをはじめ七十名の子供達がかぶりつきで体育座りをしている前である。初めて聴く難解な現代音楽なのに子供達は真剣で最後まで身じろぎ一つせず目を丸くして聴き入っていた。子供達は本当に正直な聴衆である。彼らの「聴く心」が育つどうかは演奏する側の問題なのだ。
「聴く心」とは言い換えれば子供達とのコミュニュケーションのことである。大人がしっかりと「聴いてもらう」内容を持っていて、子供の人格を尊重し、その心を「聴く」ことができれば、彼らの中に「聴く心」が芽生えるのだ。
無限の可能性
「君達には『無限の可能性』があり、今本気になったら何にでもなれる」と、東京で生徒達に話してきた。宮古島でも演奏したり指導したりする合間に子供達に言い続けている。そして、本気になる為には見識を広め意欲が育つような環境創りが重要だ。
宮古高校音楽主任だったN先生に初めてお会いしたのは五年前だ。十五丁のバイオリンをお持ちで「授業で皆に体験させるから、指導に来てくれ」と請われた。授業でバイオリンを体験できる高校など東京でもほとんど無いので本当に感動した。音楽を広める環境創りの為には労を惜しまない方で、宮古島市ジュニアオーケストラ設立時から、団長として大きな存在である。そして氏の永年の努力と薫陶を受けた後輩の先生方のお力で宮古島の中高吹奏楽部は県内トップレベルであり、その暖かく子供達の為の熱意に満ちている人の輪に囲まれてジュニアオケも育っている。
三年半前に市内の二つの小学校でジュニアオケの前身となるクラブ活動を始める時に、両校の校長が、「子供達の為ですから」と言いながら笑顔で全面的に支援して下さったことも大きな感動であった。
こうして設立三年目となる今年の夏休みにジュニアオケの皆で東京に行く計画をしている。素晴らしい音響をステージの上で体験する為に「シューボックス型」のホールでコンサートを催し、同世代の音楽仲間と共演し交流を深める。翌日は皆で東京大学を見学して教授の話を聞いたり、最大級の蔵書数である都立中央図書館に行ったり、一流のオーケストラの演奏会を聴いたりして「東京」を体験する。
一方、宮古島に人を呼びたい。今年は日本弦楽指導者協会の補助を受けて、宮古島に現役の音楽大学の准教授を招き、音楽大学に行くのはどういうことか、どういう将来の選択肢があるのかなどの講演会と演奏会を催す予定だ。
距離的には首都東京から遠く離れた宮古島。しかし、広い視野を持ち努力を惜しまない多くの大人達の力で、子供達は距離を感じずに見識を広めることができる。生まれ持った「無限の可能性」を活かすことができるのだ。
神様がくれた能力
二八年間バイオリンを通じて子供達と向かい合ってきて確信したことがある。子供達は皆、自分を本当に大切に思ってくれる大人を嗅ぎ分ける本能的な力を持っている。生まれた時に神様にもらった力だ。
早い子供は二才から五才くらいで私達のスクールを訪れる。始めから本人に意欲などあるはずもなく、ただ、「大好きな両親と大好きな先生が愛している『音楽』」興味を持つ。小学校高学年になると、合奏や合宿などで仲間との触れあい楽しく感じるようになる。一見まだ積極的に音楽に取り組むようになったとは見えないだろうが、「信頼」「愛情」「意欲」という養分を貯えているのだ。
私達にとって、ここからが真剣勝負である。「信頼」の貯えのある子には、私達教師との間に大人同士の関係を築くことができる。「愛情」の貯えのある子には、厳しい師弟の関係を築くことができる。そして「意欲」の育っている子には、音楽を教えることができるのだ。
私達の愛する音楽を生徒たちが大好きになってくれることは、大きな喜びだ。しかし、音楽を通じて自分の大切なものを見つけ、育み、そのために一生懸命努力する、つまり力強く生きる方法を身につけていくことこそが、最大の目的なのだ。子供達は、皆このプロセスの中で発展途上であり、必ず一生懸命である。
大人のできることは音楽を好きになるチャンスを注意深く見守り認めて褒めてあげることだ。いい加減に褒めてもだめだ。本当に素晴らしいところを褒めなければ子供達は納得しない。「褒めるプロ」を自認する私達にとっても、生徒達の演奏の本当に良いところを見つけて本人に上手に伝えるのがレッスンの核心だ。
宮古島は親達も素晴らしい。東京より「勉強しなさい」「バイオリンを練習しなさい」と頻繁に言う親が少ない。それが子供達の心の健やかな成長につながっているし、だからこそ、幼いうちからバイオリンを好きになり結果的によく練習する子が多い。子供達にとって生まれた時に神様からもらった本能的な力を大切にし易い環境なのだ。
故郷を知る為に
この夏の宮古島市ジュニアオーケストラの那覇・東京公演の準備に出かけた。
那覇ではマスコミを廻り協力を要請した。永年県内に音楽を始めとした西洋文化を広める為に大きな役割を担ってきた報道各社が、宮古島の子供達を優しい気持ちで見守って下さっていることは本当にありがたいことだと思う。
翌日は東京に入った。まず、東京都武蔵野市の山上美弘教育長を表敬訪問した。武蔵野市民文化会館は東京西部の市民の為に高い音楽文化を育ててきた。この素晴らしい音楽専用ホールで宮古島と東京の子供達が交流しながら演奏会を催すことが、彼らの心の大きな宝となることをお話した。趣意に賛同し力強く協力を約束して下さった。
さて、宮古島の子供達の力一杯の演奏を是非とも聴いてほしいのは同郷の皆さんである。東京で活躍している宮古人みゃーくぴとぅーを訪ね歩く。思った通り東京に永年住んでいてもその人柄は暖かい。そして故郷に貢献してきた方ばかりだ。宮古島伝統の泡盛の回し呑み「おとーり」をして一旦打ち解ければ話は早い。心の中の故郷に対する想いを語り、公演が成功する為にいろいろお骨折り下さることになった。
次は、パイプオルガンとハープの共演者探しである。せっかくの東京公演で、普段聴くことさえできないこの二つの楽器と子供達をステージの上で共演させたいのだ。宮古島の子供達のことが大好きなオルガニストが無償での出演を快諾。また、ジュニアオケを温かく見守って下さっている東京の企業からハープに関する費用を補助して下さるお申し出をいただいた。
私達が文化庁の芸術家派遣事業等で学校で演奏する合間に「宮古島は本当に素晴らしい所だね」と話し掛けても、子供達はピンとこないことが多いようだ。この環境があたりまえなんて贅沢なことだ。しかし、子供の頃に東京を体験し宮古島と東京それぞれの長所を感じとることができれば、自分の将来の道が見えてきたときに、より深く故郷を知り、愛し、その為に貢献する人に育ってくれると思う。沢山の人々の温かい心がその為の道筋を創ってくれている。
幸せの要素
宮古島市ジュニアオーケストラの夏の東京・那覇公演に向けての練習が始まった。中高生は、二〇世紀初頭にウィーンで活躍した大作曲家マーラーの交響曲第五番第四楽章を演奏する。滅多にアマチュアが演奏しない難曲だ。その上、美しいメロディーに込められた深い情感を個々の演奏者が自分の力で表現しなければならない。いわば「大人」になることが要求されるのだ。
子供達が音楽を通じて成長するには二通りのパターンがあるようだ。自分をしっかり見つめる力がまず育った子は、忍耐強く技術練習をすることができる。積み上げられた結果がその子の人となりを表現し感動を与える演奏となる。やがてステージ上で聴衆の共感を感じ取ることができるようになり、音楽する歓びや人生への自信が生まれるのだ。逆に、まず音楽することに愉しみを見いだした子は、荒削りだが理屈抜きに人の心に響く演奏をする。やがて愉しさを糧に厳しい技術練習を通じて心が育ち「大人」の深い表現力を身につけるようになる。
子供達が本当に音楽を自分のものにするためにはこの両方の要素が必要なわけで、合奏の練習は子供達が双方の長所を感じ合える貴重な場である。幸い宮古島の子供達の心根は本当に優しいのでお互いの良さをすっと受け入れて認め合っている。言い換えれば、この子達はいとも簡単に価値観の多様性を学んでいるのだ。
現代は、「大人」になりにくい時代かもしれない。三〇年位前に東京で端を発したと思われる小学校受験から大学受験までいかに効率よく知識を覚えるかという点を重要視し優劣を決めてしまう考え方が全国に広がって、広い視野や様々な価値観から生き方を考える機会に恵まれない子供達が増えているからだ。でも宮古島はまだ大丈夫。幸せな人生を送るためには絶対必要な「互いを認める優しさ」がどの子の心の中にもちゃんと育っているからだ。ジュニアオケという一つの社会を通してこれからもこの環境を守っていきたい。その為には私達大人が流されずに自らの生き方を磨き、広い視野に立ち、常に子供達の幸せを考えることが必要だと思う。
音楽の力
音楽が思春期の子供の心を救うことがあると思う。
たとえば、ベートーベンの交響曲は子供達を力強く励ましてくれる。私の東京時代の生徒の中には厳しい中学受験に疲れ切ってしまい、折角合格した学校に通えなくなってしまうケースが何度かあった。しかし彼らはオーケストラには通い、一心不乱に演奏しているのだ。音楽に何かを求めているようにみえた。コンサートに向けて「英雄」の名で知られる第三番や、「のだめ」でおなじみの第七番を皆で練習していくうちに、今や語られる機会が減った真・善・美を真正面から語りかけるその貴い魂に触れて、生きる力を取り戻していくようである。音楽の持つ大きな力だ。
また、思春期特有の人生の悩みを持った高校生が、バッハの無伴奏バイオリンソナタに癒されることもよくあることだ。無伴奏であるこの曲が持つ自己完結性の高さやバッハ本来の精神的高さを感じてか、それまであっけらかんとしていた子供が内省的になり、今までになく部屋に籠って一生懸命練習する。存分に弾けるようになると何とも穏やかな顔だ。バッハの音楽には、聖書のように人の生き方を示す力があるのかもしれない。
私の思春期はモーツアルトが支えてくれた。彼の明るい曲に潜む儚い悲しさを文豪スタンダールは「疾走する悲しみ」と表現し、評論家小林秀雄は「モーツアルトのかなしさは疾走する。涙は追いつけない」と評した。私が音楽から受けた言葉にならない感動を簡潔な文章で表現された驚きは、今でも忘れられない。悠久の自然の営みの中では人間の悲しみなど小さなことに過ぎないことを教えられた。次にマーラーを知った。彼の音楽は善悪を超えて人間の全てを宇宙から地球を眺めるような客観性で包み込み、神の如き包容力で許す。音楽が私達に自分の生をはるかに超えた視点をもたらしてくれる。
宮古島の子供達は心根が素直なので気負うことなくベートーベンやマーラーがすっと入っていくようだ。芸術を信じることは人間を信じること。音楽がこれから大都会に旅立つ彼等の「お守り」になってくれることを心から願う。
孤独の力
生徒達に良く話すことがある。「アマチュアオーケストラは、プロオケより聴衆の心に響く演奏する場合も多い。」
メンバーの技量はプロが遙かに勝ることは言うまでもない。しかし、アマチュアの方が練習回数が多いことはもちろんだが、永い付き合いになれば視線の動きだけでお互いのやりたいことがわかるようになるほど団員同士や団員と指揮者の絆も深く、より突っ込んだ表現をしやすい。その上、メンバーがその曲をコンサートで演奏するのは一生に1~2回だ。1回に掛ける情熱と集中力は遙かにアマチュアの方が大きいだろう。感動的な演奏ができるわけだ。
そういう演奏を目標とするなら、オーケストラ練習の前に周到な個人練習が必要だ。楽器は一人きりになって自分自身と真剣に向き合いながらさらうものだ。しっかり準備して合奏に臨む者同士には、信頼と友情が芽生える。孤独に耐えてこその本当の仲間なのだ。この孤独が本当の意味で人間を強くする。そして私達教師との厳しい師弟関係も同様の強い信頼があってこそ成り立つ。
学業に関しても音楽と同じことがいえるだろう。地元の小中高校でコツコツ真面目に勉強し県内の国立大学に進学し自分の目指す事を成し遂げる道は、一つの幸せの形だと思う。本人が将来をしっかり見据えて、孤独に耐え自己の内面を鍛え目標に向かって努力すれば、誰にでも開かれている道だ。これは、以前このコラムで述べた東京の子供達に深刻な問題を引き起こしている、心を育てることを後回しにした受験勉強とはまったく異なる。永年、東京のど真ん中で親が非常に教育熱心な環境で育った子達を多く教えてきた私達だが、宮古島の子供達はその子達に勝るとも劣らない聡明さと集中力を持っていると思う。そして島には立派な高校があり、安心して子供達を高校まで親元で育てることができる。島で島の将来を担う人間を育てたいと思うのは、皆の気持ちだろう。
これからも優秀な島の跡継ぎが育っていくだろう。その為には、「孤独」が人を鍛えることを教えることが重要だと思われる。
心の拠り所
宮古島市ジュニアオーケストラの夏のツアーの準備に東京に行った。三年前まで生まれてから四七年間住んでいた土地なのに、一週間居るだけで疲れるのには我ながら呆れてしまう。同時に、これから島を巣立ってここで暮らす子供達のことを考えた。彼らにとって未だ知らぬ価値観との出会いでもある。
演奏会の協力の為に集まってもらった宮古島出身の郷友会の皆さんに、そのことを聴いてみた。皆、移り住んだ当初は、効率や合理性を追求した東京の価値観にとまどった由。その中の一人が言った。「僕の心の中の九割は東京だけど、一割は宮古だ。その一割があるからがんばれる。」自分たちの心を大切しながら、東京をも受け入れる懐の深さがあったからこそ、今の彼らがあるのだろう。
一方、東京から宮古島に移り住んだ私達は、人間性や心を大切にするその生き方に、むしろ本来の居場所に帰って生活している実感がある。明治以降の急速な欧米化により失われていった日本人の心の拠り所が、沖縄にはしっかり残っていたのだと思われる。東京に移住した郷友会の皆さんも宮古島に移住した私達も、両方を受け入れて生きているのだ。
島の子供達も、彼の地でまずこの価値観の多様性を理解し、自分のアイデンティティーに自信を持って、選んだ道を進んでほしい。そして、私達の世代では別々のものだった二つの価値観が、彼らの力で止揚されて、新しい幸せな生き方が生み出されてゆくことと思われる。「東京での友人に『君を見ていると宮古島は素敵な所に違いない』と言われるようになってほしい。」と話している。
音楽は、まさにそのことを表現する為の道具なのだ。演奏会の時には、舞台に立つ者の間や舞台と客席の間に、無意識の心の絆が生まれる。あらゆる芸術の中で、「演奏」するその短い時間を皆が共有する「音楽」だけの醍醐味だ。
「新しい価値観」と「音楽の絆」。彼らこそ本来の意味でのグローバリゼーションの担い手かもしれない。宮古の子、頑張れ。今回の東京沖縄ツアーはその第一歩だ!
優しさの力
東京から宮古島に移住して三年になるが、この島では人の優しさを感じることが多い。
今では島で生まれ育った友人も沢山いる。職業も、会社員、自営、会社経営、教員、公務員など様々だ。皆生きる力が強く、仕事でも遊びでもとても敵わない。その上、とにかく優しい。助け合い精神が色濃く、人との繋がりを大切にするこの島で生きてきた彼らは、困っている人がいると放っておかない。この夏、東京沖縄ツアーを催す宮古島市ジュニアオーケストラも、彼らをはじめ数多くの島人に援助してもらっている。
ジュニアオケのメンバーはそういった環境の中で育った子供達であるから、「優しさ」の持つ力をよく知っているようだ。「優しさ」が音楽をより深く彩るのだ。
音楽の表現の基本は、音の強弱、速さの緩急、音色の使い分けなどで組み立てられる理性的なものだ。しかし上級になると、演奏中の瞬間瞬間における、メンバー間の言葉にできないやりとりが重要になる。指揮者の私が手の動きで示したアイディアに、彼らのリーダーが応え判断し、演奏と体の動きや目配せなどで示し、皆が応じる。メンバー全員の感性が心に響く演奏を創るのだ。この「場」の深い共感こそ、プロ・アマを問わず、音楽の「神髄」である。
人々が共感し愛し合う気持ち、つまり「優しさ」が、音楽の「深さ」を生む。そしてその音楽の「深さ」への感動、つまり生きる歓びが、さらなる「優しさ」を育てる。これが私達の音楽教育の目的なのだ。心地良い緊張感のある舞台の上で、しっかり強い気持ちを持ちながら、嫋やかな心遣いのできる彼らだからこそ、すっとこの「神髄」に触れることができるのだ。
何度もこのコラムで述べたように、沖縄には、「優しさ」に象徴される日本の素晴らしい価値観が色濃く残っており、今それが東京でも見直されている。島から羽ばたいていく子供達にも、それに誇りを持って大切にしてもらいたい。そして、彼らが一人前になって島に帰って来た時に、この島の宝が今と変わらずあるように、私達が守っていかなければならないと思われる。
妻の直感
「あれだけ沢山の仕事を抱えた天野先生が、いきなり宮古島に移住するなんて、あのときは本当に驚きました。」
先日、新宿の居酒屋で、友人で大手のCDレーベルのプロデューサーS氏に再会した時に言われた。確かに、今考えると、三年半前に生まれ育った東京を離れて移住したのは大胆な決断だったと思う。
それを言い出したのは直感の鋭い妻だ。初めてこの島に来た八年前、いきなり、「もう私は東京には帰らないから。あなた一人で帰って。」ときた。
美しい自然、温暖な気候、穏やかな風土。しかし、五年前に私達が決断した要因はそれだけではない。底抜けに優しい島の人々に囲まれて生活できたら、どんなに愉しいだろう思ったことが大きい。
この環境で育ったのだから素直で心根の優しい素晴らしい子供達ばかりだ。すっと良い師弟関係を創ることができ、厳しいレッスンにも一生懸命応えてくれる。本人が愉しさを感じると、すごい集中力を発揮する。合奏になれば私の指揮に食いついて音楽の神髄に迫ろうとする。
一人一人が奏でなければ合奏にならない。しかし、合奏があるからこそ、自分の音が、つまり、自分自身がそこに存在することを確認できるのだ。音楽の歓びが合奏にあるように、生きる歓びは人との繋がりの中にある。彼らはこの価値観を自然に会得している。私達は、彼らの成長する姿を通して、この島に住まわせてもらっている感謝を表現することができる。彼らに心から「ありがとう」と言いたい。
島の「優しさ」を基本としたこの価値観こそが、今のこの国の状況を良い方向に導くのだと思う。そのことを、彼らは、合奏を通じて沖縄と東京のステージで表現するのだ。
宮古島市ジュニアオーケストラは七月二三日宮古島マティダ市民劇場、二四日沖縄平和祈念堂、二六日東京武蔵野市民文化会館にて公演する。沖縄では平和の祈りを込め、東京の音楽専用ホールのステージの上でその響きを体験し、日頃なじみのないパイプオルガンやハープと共演する。
素晴らしいこの島で仕事ができて私達は幸せだ。妻の直感は、また正しかったようだ。